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ちょっと散策;
喜瀬川に沿って

兵庫県立考古博物館、大中遺跡への入口の前に 喜瀬川が流れ、ふるさと橋が かかっています。橋には鉄琴が組み込まれており、橋を渡りながら、鉄琴を叩いていくと ”ふるさと”の旋律を聞くことができます。この橋は 昔は別府鉄道の鉄橋でした。当時、もちろん手すりなどなく、線路の枕木の間から下の川が丸見えでした。鉄橋の上を歩いて渡るのは 怖かったです。

 別府鉄道現役の頃、喜瀬川土手は 家も少なく、線路沿いには畑や田んぼが広がっておりました。その元畑の上に 今は考古博物館が建っておりますよ。
江戸時代、阿閇村の下に 村々があり、この近隣には野添村や大中村がありました。
近代 この近隣の野添村の人々は お彼岸やお盆の頃には、線路沿いを歩いて 線路沿いから少し入ったところの出門墓地(”江戸時代?もっと前?明治時代は確実” の野添村土葬墓。2022年11月墓じまい)へ向かいました。

別府鉄道



郷土資料館脇に当時の車両が展示されています。
別府鉄道土山線wski 別府鉄道

創業時社名 別府軽便鉄道。別府港にある多木製肥所(多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、1921年に野口線 1923年に土山線が開業しました。1984年2月に廃止されました。

私が子供の頃に乗った時は 貨車の前にこじんまりした客車がついて、のんびりと走っていたように記憶しております。

喜瀬川沿いの 動植物

夏の早朝朝日に照らされて
川鵜と鷺が並んで
サギ
イソヒヨドリ
かも
かも
川の中ばに アカテガニが巣を作ってます。
赤手蟹
河口近く川の魚と海の魚
鯉


日本庭園

茶室の周りは日本庭園