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遺跡を巡り 古墳群を歩く




ひょうご考古楽倶楽部では、毎年、ボランティア新人研修終了後の新会員の歓迎会として、遺跡や古墳へバズ旅行を行っています。
「 また、「古代山陽道歩こう会」による企画では 実際に石碑や道標を見ながら、山陽道、西国街道を1日かけて歩きます。
「聞紀かじり会」による企画では 古墳群を歩きます。

各々 企画した有志が道中の遺跡や史跡を色々調べて小冊子を作り、薀蓄やトリビアを披露するガイドにもなります。
参加した会員は紀行文を倶楽部の会報に紀行文を投稿します。
  その会報から転載しますので みなさま 歴史愛好家 の方々のウォーキングプランの参考にしていただければ幸いです。
近年3年くらいのものを転載いたしますが、変わってしまった場所もあるかもしれません。お出かけされる方は 事前に情報をお確かめください。

一応、時系列に沿って掲載しております。ご参考にされてください。



索引
  
遺跡巡りバス旅行古代山陽道歩こう会
雨ニモ負ケズ ワレラハススム! 古市古墳群

姫路市・丁瓢塚(よろひさごずか)

国指定史跡赤穂城址を探る

奈良へ見学三昧

見野古墳群と姫路市埋文を見学

佐紀盾列(たたなみ)古墳群

朝臣山と権現山の古墳

飛鳥の風に吹かれて

豊岡・出石の遺跡・展示施設を訪ねて

桃太郎伝説の吉備へ











JR北伊丹駅から阪急桜井駅へ

過去にあらず 賀古駅家と山陽道   

中世山陽道を歩きました

西国街道を歩く 阪急西山天王山駅からJR向日町駅へ

山崎の里 JR島本駅から阪急西山天王山駅へ

JR高槻駅からJR島本駅へ

雨ニモ負ケズ ワレラハススム!
古市古墳群遺跡巡り パート?開催!



2月5日、記紀かじり会主催の2月度例会【世界遺産百舌鳥・古市古墳群、遺跡巡りパート?】を開催しまし た。昨年10月23日に実施したパート?(17人参加)の続編です。

参加者は Mさん12期、Iさん20期をガイ ド役に、会員+ Tさん(職員)の合計14人。
1週間前から心配された雨は心配された通りに雨で (泣)、
「なんでこの日だけが雨や!」と雨男に逆恨み。
ところが参加者の平素の行いが良かったために、傘が必 要な場面は最初と終盤の一部だけで、殆ど傘を差さなく ても歩ける状態だったのはラッキーでした。

古墳頂から の生駒連山の南端、二上山、金剛山、アベノハルカスも 見ることができました。
親切な学芸員さんを質問攻めに 今回は雨を前提に、楽しめる六つのポイントを設定。

登れる古墳を4基チョイス(鍋塚:方墳50m、古室山:前方後円墳150m、大鳥塚:前方後円墳110m、野中: 方墳34m)。

羽曳野市文化財展示室ですべて本物の出土品を見る→解説が普通は無いのですが、親切な学芸 員の本田さんが隣の市役所から来られて説明していただけました。で、 ここぞとばかり皆で質問攻め(笑)、(個人的には古市大溝の細かいル ートを聞けたのは収穫でした)本田さんに感謝!

道明寺天満宮で梅 園と梅盆栽をめでて春の訪れを楽しむ(雨のため香りがやや薄かった か)、併せて敷地内にある出土実物大復元品 の修羅を見学。

古市古墳群が成立してい った順番や、なぜ応神陵は二ツ塚古墳に遠 慮するようにできているのか、等の様々な 興味深い解説とお持ち帰り資料をご提供 (出典:羽曳野教育委員会編 藤井寺の遺跡ガイドブック#1)。

雨に打たれて冷 えた体に王将のラーメンが暖かいゼ、な昼食タイム、

古墳にコアな人も大満足間 違いなしの古墳グッズ専門店「河内こんだハニワの里大蔵屋」でのグッズ購入タイ ムの設定を致しました。

コースは、近鉄南大阪線土師ノ里駅10:00スタート→唐櫃山→市野山→鍋塚→道 明寺→道明寺天満宮→三つの方墳→仲津山→古室山→赤面山→盾塚→誉田丸山→大鳥塚→誉田御廟山拝所→ 昼食・王将→アリ山・東山→河内こんだハニワの里大蔵屋→野中→墓山→向墓山→羽曳野市文化財展示室→誉 田白鳥埴輪製作施設→近鉄南大阪線古市駅に15:30ゴール。(下線は登れた古墳)

記紀かじり会も2月2日の例会で、「日本書紀」巻第十四 大初瀬幼武天皇(雄略天皇)を読了しました。
そ の内容の印象も鮮やかなうちに、5世紀のいにしえに想いをはせて歩く、そんな一日になったのではないかと 思います。さあ、次回はどこに行きましょうか、倶楽部員の皆さんの参加をお待ちしています。乞うご期待!
(T・I氏 記・撮影)

修羅
小室山古墳
小室山古墳を登る
羽曳野市文化財展示室
鍋塚墳

「古墳時代の技術革新」
 姫路市・丁瓢塚(よろひさごづか)古墳を歩く



35 人、よろめかず、しっかり見学
5 月 21 日(日)、春季特別展「古墳時代の技術革新」 関連イベントとして古墳時代初期古墳の姫路市・丁瓢塚(よろひさごづか)古墳をメインに周辺の古墳を巡った。

当日の参加者は、22 人(阪神地区6人、東播地区5人、 西播地区8人、北播地区1人のほか名古屋市1人、広島 県廿日市市1人)、倶楽部スタッフ 10 人、博物館学芸課 篠宮さん、渡瀬さん、学習支援課野島さんも参加された。

10 時 30 分に、はりま勝原駅南口を出発。
新快速延着により、2 人の方が最初の目的地の春日神社・山戸 4 号 墳で合流となった。
山戸 4 号墳は、3 世紀前半の前方後 円墳で竪穴式石槨・壺棺などについて、Mさんから解説があった。「M節」は絶好調。丁瓢塚古墳では、墳丘に上がって箸墓古墳との相似性(10:4)を実感し、集合写真を撮った。
参加者の中からは「未調査であることが残念」との声があった。
少し遅めの昼食は、丁古墳公園(勝山古墳群 1 号墳~5号墳)で。横穴式石室を持つ 5 基の円墳が保存されている。

この周辺には、100 基を超える後期・終末期古墳が あったようだが、宅地造成などで失われた。ここでは、 篠宮さんが解説をされた。
次は、下太田廃寺で、塔跡は県指定史跡となっており、 KAさんから「播磨国風土記」にも触れた解説があった。
その次は吉備神社で、KOさんから吉備との関係や境内に保管されている用水路の橋に転用されていた家形石棺の蓋石の説明があった。

それから、歩いたコースが見渡せる愛宕神社で、篠宮さんに各古墳の位置や変遷について総括的な説明をしてもらい、参加者からの質問にも答えられた。
最後に、神功皇后が新羅出兵のおり船を?いだといわれる船つなぎ岩で、Mさんから解説があった。
網干駅には、15 時 20 分到着。


(K.Y記 会報から転載) 




国指定史跡の
「赤穂城跡」を探る



3 月 25 日(水)、前日からの雨も上がり、少し肌寒い中、播州赤穂駅に降り立ち、徒歩 15 分で、集合場所である赤穂城大手門前に到着した。
参加者は、21 人(男 性11人、女性10人)。
学習支援課の永恵裕和さんとともに、午後 1 時から 国指定史跡「赤穂城跡」の見学に出発した。

まずは、 三の丸から二の丸、本丸。そして、天守台(閣)へと歩を進めた。
それぞれの場所で、国指定の内容の説明を受け、城の構造や石垣について教えてもらった。受けた説明を下記にまとめてみた。

・地形の要を得たもの
南側が海中にあり、海からの攻撃がないならば、北側の陸のみが防衛正面となる。

・総体形態はよく遺存する
土塁や石垣、濠はほぼ残存している。

明治 9 年の飾磨県による建物払い下げ公告の資料によると、櫓、多門、門、番所、土蔵が実存していた。

・軍学の手法を取り入れた近世城郭史上価値がある。
1,500 人前後に合う防御機能を想定して築城する。
効率的な防御を考えた構造になっている。
三の丸、本丸に家臣団屋敷や御殿が連なるので、城内通路に制約をもうける。

これまでの赤穂城跡は、大石神社に行った時にたち寄って、散歩した程度のものでした。
今回説明を聞き 大手門を抜けると重臣屋敷の長屋門があったり、三の丸、本丸に家臣団屋敷や御殿が連なっていたり、城郭が様々に屈曲を盛った縄張りや曲線を描く石垣になっていたり、という特徴を知りました。

昔の人々の戦いに備えるための作戦や知恵を知ることができ、勉強になりました。

(R.H記)会報から転載





☆2023年初例会は奈良へ
見学三昧



世間では成人式(20 才のお祝?)や出初式等々、 何かと賑わいをみせる年明けの 3 連休、中日の1月8日、和田館長と我々11人の一行 12 人は、天理市の古墳と博物館見学三昧でした。
先ずは、朝 8 時 22 分阪神三宮発の電車で 11 人は一路天理市へ、駅からはタクシーに分乗して最 初の目的地、西乗鞍古墳へ向かいました。

西乗鞍古墳は、奈良盆地東縁・天理市南部の丘陵の麓を切断して築造された杣之内(そまのうち) 古墳群の大型前方後円墳(全長 118m二重掘割) です。確かに、墳丘頂上まではちょっとした山登り気分。相当な広さの頂上に立つと奈良盆地が見 下ろせました。
次に、すぐ東隣の東乗鞍古墳へ。横穴式の玄室に入ることが出来るとの情報でしたが、運動公園の駐車場や柿の木畑を突っ切ってとりついた先で 墳丘頂上へ至る道が良く分からず、目当ての墓穴 も危険な為と立入禁止でシートと竹垣に阻まれました。何とか懐中電灯で垣根の隙間から覗くと、 玄室は大半埋まっている様子でしたが、棺のよう な平らな石が見えました。(館長のお話では、阿蘇のピンク石の石棺があったそうです)。

2つ目の目的地なら歴史芸術文化村で開催されている『発掘された日本列島 2022 展』では館長と合流し、展示の解説をして頂きました。
私事ですが、印象深かったのは、直前のテレビ番組で紹介された、当麻寺の阿形仁王像(ミツバチに頭部を占領されていた)の修復現場が、展示されていた事と、本展展示の縄文の大型壺の大迫力に館長が「あれが理解できるのは岡本太郎」って言われたことでした。

ボリューム満点の昼食の後は次の目的地、天理 高校の敷地内の西山古墳へ。
杣 之 内( そ ま の う ち )古 墳 群 の 中 で も 最 も 古 く 、 下段が前方後方墳としては日本最大(183m)、更 に中段から上が前方後円形となっているという特 殊な墳形を持つ古墳ですが、残念ながら雑木雑草に覆われ、巨大な外形の見学だけになりました。 隣接した円墳塚穴山古墳も見学、こちらは墳丘 上部の土はすでに剥がされ天井石もなくなっていますが、明日香の石舞台に匹敵しそうな巨大な鏡 石を持つ玄室に長い羨道をもつ古墳で、私には飛 鳥の蘇我氏に対抗する布留の物部氏を彷彿とさせる古墳でした。

そして最後に、館長の解説付きの贅沢な天理大学付属の天理参考館の見学。こちらでは日本の古代だけでなく、アジア一円の民族資料も多く展示 されて興味深い博物館でした。
(M.M 記)

新会員歓迎! 研修バス旅行


一年間の研修を修了して新しく会員になった方達を歓迎する バス旅行を毎年行っております。

飛鳥の風に吹かれて
21期生歓迎バス旅行



終末期古墳を満喫 ―飛鳥時代の終末期古墳に逢いに行こう―

今回の歓迎バス旅行は20期生の企画 で和田名誉館?・菱田館?をお迎えして
飛鳥時代へいざタイムトリップ!

4月20日(土)曇り
行き先 奈良飛鳥地方
参加者 48人
特別招待者
和田名誉館長 
菱田館長 
世話役 20期生

播磨町役場→JR土山→ 尼崎P→近鉄飛鳥駅→牽牛子塚古墳→昼食処めんどや
→石舞台古墳→中尾山 古墳→高松塚壁画館高→松塚古墳→奈文研飛鳥資料館→道の駅かつらぎの行程でした。

新21期生の自己紹介、クイズ、解説、ビンゴに加えて、柿の葉寿司店でお土産タイムも。
当日は薄曇りでしたが気温24度と高く、坂の多い道を3〜4km歩いた為 少し大変だったかもしれません。
お世話役の20期生10人が役割分担をして、チームワーク良く、きめ細かく準備されていたのが印象的でした。
(A・N 記)

【21期生のバス旅行記より】

■実際に行ってみるとTVで見るのとは大違い、牽牛子塚古墳はすごかった。
プチ登山級の大きさと現代建築みたいな八角形、コンクリートの打ちっぱ なしではなく、当時の再現と聞いて、高度な加工技術とセンスを持ってい たのだと感動。

「斉明天皇様、飛鳥時代の人の技術を侮っていてごめんなさい」
もっと飛鳥時代のこと知りたくなった、楽しい1日でした。

(K・I記)

■今回のバスツアーは、私にとって大変印象深いものでした。
牽牛子塚古墳での菱田館?による地図では分からない風水思想に基づく地形のご説明や、石舞台では和田名誉館?が私の稚拙な質問にも真摯にお答え頂いたこと には、深く感銘を受けました。

(I・U記)

■新緑のまぶしい季節に、久しぶりに明日香を訪れました。
残された石室・彩色 された壁画・古代の星座図など、凄いものが地中に残されておりました。
初めて 見た発掘者の気持ちは、どんなだったでしょう。
日本の原風景とも言えるような 明日香のたたずまいに触れ、心洗われました。

(Y・N記)

■牽牛子塚古墳から私の古墳に対する知識の浅さに気づきました
古墳たるものを根本的に知らなかったのです。
そして飛鳥の町は、全てが素晴らしく、どこを見渡しても切り取った絵のようで心が洗われ、感激しました。
古代に思いをいを馳せ、自然の中でタイムスリップしたような1日を味わい、貴重な体験をさせていただきました。

(F・A記)

■初めて古墳を見る私にとって田園風景の中に白く輝く八角墳の牽牛子塚古墳、 想像以上の巨石の石舞台古墳を目の前にし、ただただ驚くばかりでした。
古墳の 裏にある物語、人々の歴史、今まで知らなかった事をこれから沢山知りたいと思 える旅でした。

(M・T記)

■斉明天皇と娘と孫娘が眠る牽牛子塚古墳で、菱田館?のお話、ビデオ解説、辻立ちボランティアさんの説明を 伺いました。
昼食は見た目にも可愛らしい2段弁当に舌鼓を打ち、石舞台古墳へ。
次の高松塚 壁画館では色彩の鮮やかさに驚き、中尾山古墳では築造当時の八角墳の面影を感じ、飛鳥資料館では ランボランティアさんの解説が素晴らしく、よく理解できました。
お天気にも恵まれ、若葉が眩しい飛鳥の地に て、肌で歴史を感じることが出来ました。

(A・N記)

注:会報より転載しておりますが、一部省略しております。

豊岡・出石の遺跡・展示施設を訪ねて
~20期歓迎バス旅行実施!~


もちろん出石と言えば、お蕎麦も!


12月5日(火)に豊岡・出石へ20期生歓迎バスツアーが行われました。

館から和田晴吾館長をお迎えし、K氏代表以下30人の クラブ員が参加。
そのうち20期生は9人と多く参加しました。
新規クラブ員歓迎バスツアーは今年で累計18回目になります。そして、地元兵庫県内に足を運ぶのは16期歓迎の淡路を直近として計2回行っており、今回は県内の3回目となり、出石~豊岡~ 和田山の順に訪問しました。

播磨町役場・JR土山駅を予定通りに出発。播但道を走るバ 内で和田館長にご挨拶頂き、20期生自己紹介、
そのあとはN.Kさん(14期)による、豊岡方面に関連した地元クイズタイムです。 クイズというより、試験問題のような(!?)16問の筆記難問に四苦八苦。それでも正答の第1位は15問正解した17期のK.Mさんでした(凄い!)。

そして、和田館長には訪問する豊岡・ 和田山・出石地域の遺跡・古墳の状況や時代的位置づけを詳しく 解説を頂戴致しました。
そのうちに最初の目的地の【いずし古代 学習館】へ到着。学芸員さんに説明を頂きながら、我らの館でも 展示しています袴狭遺跡の大量の人形や木簡、船団線刻木板(複製)、土器、刀剣、鏡、役所跡の出土状況などを見学しました。

なお、【いずし古代学習館】では、館長様のご厚意で、ロビースペースをお借りして、20期生9人とMさん(特別出演)による、寸劇的オリジナル小芝居を上演いたしました。
ストーリーは、玉津田中のムラが、丹波のクニから買った鉄や勾玉の支払い代金に相当するアカガシの鍬100本が納期に間に合わず、丹波の王と兵士が取り立てに来るが、なんとか全員一致して追い返すというもので、笑いと涙の寸劇を見れば弥生の暮らしがリアリティを伴ってよく判るという内容でした(笑)。

そして出石といえば、皿そばですね。出石城の近くの城山ガーデンで、皿そば&焼き肉の 食事を頂き、次の目的地の豊岡市歴史博物館へ。
ここでも学芸員さんに解説を頂きながら土器、木簡、瓦などを見学。
こちらでは弥生や古墳時代他の暮らしを、館員さんが皆さんで上 手な絵を書いて表現されているのが印象的でした。

次に北近畿道で朝来市和田山町に入り、【茶すり山】古墳を見学しました。全長90mの近畿 最大級の円墳で、我らの館でも池田古墳と共に展示紹介しています。
登ってみると、結構な 高さと大きさで、迫力満点です。墳頂からの眺めも良く、山の尾根筋をそのまま利用して造成した円墳であることがよく判ります。
埋葬主体は2か所あり、未盗掘で鏡、武具、刀剣、玉など一級の副葬品と、埴輪列、葺石(一部見れます)を持つ、但馬全域を治めた王の墓と言われています。
なんでも、当初は新設される北近畿道が遺跡をまっすぐ通る予定だったそうで、当古墳の重要性に鑑みてルートが変更されたとのことです。

次に山東PA【道の駅 但馬のまほろば】併設の【朝来市埋蔵文化財センター古代あさご館】へ。城ノ山古墳、池田古墳、茶すり山古墳の出土品などを見学しました。 併せてその道の駅でお土産タイムとし、一路土山へ帰路に着きました。

バス内では、 恒例のビンゴ大会をS.Sさん(18期)に大いに盛り上げて頂きました。
予定通りの時間で、全員無事にバス旅行を終えることができました。
今年は12月に入っても比較的暖かく、天候も雨の予報でしたがなんとか持ちこたえ、雨に濡れることも殆んど無い一日でした。
充実した遺跡を見学し、倶楽部員同士の交流も進むなど大満足の1日となりました。

18・19期の皆さん及び事務局の方々には企画・準備・運営にご尽力いただき感謝を申し上げます。
(20期 T,I 記・撮影) 1

桃太郎伝説の吉備へ


行き先:岡山県岡山市吉備津神社/倉敷市楯築遺跡・美観地区/総社市鬼ノ城・吉備風土記の丘

きびきび行動、初秋の吉備路を訪ねる

待ちに待ち、3年ぶりの歓迎旅行が、倶楽部設立20周年記念事業も兼ねて、10月1日に行われました。桃太郎伝説の鬼 ノ城をメインに初秋の吉備路を訪ねました。和田晴吾館長、前川浩子副館長、新田宏子学習支援課主査も参加され、倶楽 部員36人で拝観、見学、お買い物にと、忙しかったけれど充実した一日を楽しみました。
コロナ禍で延び延びになりましたが、岡山県の旅行助成金があり、またお買い物クーポン券で、何だかお得感のあったバス旅行でした。
19期生 M.K

当日は初秋のさわやかな日となりました。JR土山 駅南側に集まり、迎えのバスを待ちました。それぞれ 今日の予定表等が入った封筒をもらい、バスに乗り込み出発。途中、龍野SAでトイレ休憩をして、まずは 吉備津神社へ向かいました。

車内では幹事さん作成の 古代史のクイズで大いに盛り上がりました。

吉備津神社に到着。参拝して写真を撮り、車中で昼食となり、このご時勢なので黙食で静かに食べました。
楯築遺跡を目ざして出発しました。楯築遺跡では山道をテコテコとよじ登り、山上で遺跡を見ました。大きい石で造られていた様子がよく分かりました.
ただ現在は水道の貯水タンク設置で一部犠牲となっていたのは残念でした。

次いで一路、砂川公園を目指して出発しました。砂川公園ではA班と B班に分かれ、A班は別のマイクロバスで鬼ノ城へ、B班は乗ってきた 大型観光バスでゆっくりと吉備風土記の丘へ行きました。両班は再び砂川公園に戻り、互いにバスを乗 り替えて、両方見学しました。

鬼ノ城は高台にあり、ものすごい山道で足がついて行けませんでしたので、私は途中で行くのを断念して遠くから鬼ノ城を見ました。そこから総社市内を見渡せる絶景も楽しみました。その後、砂 川公園に戻り、マイクロバスに乗り替えました。

備中国分寺には五重塔があり、その横にこうもり塚古墳がありました。巨石で作られた石室は奥深く、行けないようになっていました。

その後、倉敷美観地区に行きました。何十年ぶりに訪れた所でした。大原美術館も外から見て、久しぶりに思い出しました。川舟もあり相変わらずの風情にうっとりしました。ぶらぶらと散策してバスの駐車場へと帰りました。そして無事にJR土山駅に着き解散となりました。

途中、館長さんの古代史の解説もありました。帰りにビンゴゲームもあり、退屈しないように楽しめました。JR土山駅の店で有志数名で慰労会を開いて充実した一日の終わりとなりました。 天気に恵まれ、ほとんど予定通りの時間で終えたのは素晴らしい事と思います。
真砂子 記

古代山陽道歩こう会

 


「もいちど山陽道」
JR 北伊丹駅から阪急桜井駅



今回で兵庫県を踏破するということで、気合も入りますが、参加者は少なく、のんびり歩いていく「歩 こうかい」となりました。
距離は9.5kmの比較的楽な行程でした。

まず、ルートのご紹介。
JR 北伊丹駅→伊丹廃寺跡→いもじの天神→教善寺→辻の碑→日本廻国供養塔→猪名川軍行橋→浄源寺→ 受楽寺→弁慶の泉→十二神社→亀の森住吉神社→阪急電鉄踏切横の道標→地蔵堂→弁慶の鏡水→願正寺 →瀬川半町本陣跡→阪急桜井駅

自衛隊伊丹駐屯地内から雑木林を望み、伊丹廃寺跡を訪ねました。基壇が栗石と瓦を積み上げた技法で、なんだか洒落てます。
この礎石の一部がいもじの天神にあって、「うん?どうして?礎石があちこち散らばってるの?」と首をかしげました。いもじは鋳物師から由来して いるそうです。

西国街道と多田街道が交差するところ、摂津中央に位置し 「辻」と言われたところに辻の碑があります。
古来よ り辻は不思議の起こるところですが、休憩しましたよ。

さて面白いのは、軍行橋!明治44年に、陸軍秋季大演習が行われ、この演習のために橋をかけたのが由来とされています。
う まい時間に軍行橋を渡ると、伊丹空港から飛行機が離陸して向かってきます。急上昇する飛行機は臨場感が あります。シャッターチャンスですよ。

蔵のある、漆喰と黒の板壁の旧家を過ぎて、浄源寺 に向かうとイチョウが綺麗な黄色に色づいていました。ここまでが兵庫県。

池田市から大阪府です。
サビサビの歩道橋を右手に桂春団治の碑がある受楽寺を覗き、弁慶の泉へ。800年前、弁慶がここで 水を飲んだという伝説があります。川の伏流水が湧き出ているそうですが、鯉が放してありました。同じく弁慶の鏡水は、くぼみがあるばかり。

幾つかある古墳を過ぎて、本陣跡を過ぎ、桜井駅で解散。
今回2度目でしたので、また違った視点で 楽しめました。何度も同じルートを辿るとそれまで目に入らなかったものが 見えてきます。

(真砂子 記・撮影)会報から転載






「過去にあらず」賀古駅家と山陽道



11 月 12 日(日)に「賀古駅家と古代山陽道を歩く」の遺跡ウォークを実施しました。

一般参加者 は 22 人、考古楽倶楽部のスタッフは 9人、学芸課からは中川氏と新田氏に参加して頂き、総勢 33 人で歩きました。
10 時、JR 加古川駅に集合し、責任者のE氏から挨拶と説明があり、いよいよ出発です。天候は、 曇り空で初め寒く感じられましたが、歩き始めると身体が温まり、歩くにはちょうど良かったです。

ま ず 、 福 林 寺 跡 ( 溝 之 口 遺 跡 )、 そ し て 具 平 塚 古 墳に行きました。
古墳は、草木が生い茂っていました。「せっかくの場所なので綺麗にすれば良いのに」と思ったのですが、草木を切れば祟りがあるそうです。怖い、こわい。


そこから、坂元野口 地区画整理記念館へ行き、館内で坂元遺跡の解説を中川氏からして頂きました。
遺跡ウォークに参加される人たちは、このような遺跡や古代山陽道 などに興味のある方ばかりで、熱心に説明を聞いておられました。

その後、賀古駅家跡に行きました。今は、オークラ輸送機株式会社の敷地に有り、特別に会議室で賀古駅家の説明の映画を見せて頂きました。
編集には、考古博物館も協力したそうです。
なんと 駅館院は東西南北の方位に合わせて、一片が 80m もあったそうです。駐車場に行き、発掘の状況や 山陽道からの進入路などの調査に加わられた中川 氏の説明を受けました。当時の馬は、一時40頭もいたそうです。

それから、大蔵神社に行き、礎石(唐居敷) を確認しました。 の近くに住んでいる という参加者がいたのですが、今まで中に入って見たことが なかったとのことでした。

次は、教信寺です。3カ所の石棺や五輪塔を見 学して、お昼です。

加古川ウォークラリーと同じ日になり、大勢の人と一緒になりました。
昼食後、加古川サティ横にある五輪塔に行き、K氏の興味ある説明を聞きました。
西国街道を歩いて長松寺、そして、大西醫院の門が姫路城の門であった理由をO氏から説明がありました。
トボトボと 博物館に帰ってきました。その後、特別展の実物 を見ながら中川氏から説明を受けました。今まで 歩いて感じたことを再度確認できたことは、大変 有意義であったと思いました。

会報より転載
(M.Y 記)






「中世山陽道」を歩きました(会報から転載)



2021年、「明石の古道と駅・宿」とのテーマで、 明石市立文化博物館で「発掘された明石の歴史展」がありました。

その図録の中で「中世の街道」が 掲載されていたので、歩いてみました。

JR魚住駅から 北へ、近世山陽道 (西国街道)に入り東に向かう。
間 も な く「 太 山 寺 道 」 の道標が立つ分かれ道があり(写真 左 )、直 進 す る と 近 世山陽道、左に曲 がると中世山陽道 となります。
左に曲がり少し進むと金ヶ崎神社があり、その付近は新しい道ができて古い街道は断ち切られています。古い道を見つけてさらに進むとホームセンターに突き当たり、その北側の道を 更に東進。
羽柴秀吉が三木城攻めの際に本陣を構えたと伝わる光触寺があり、さらに進むとまた「太山寺道」の道標。
道はなくなっていますがここを北進し、 野々池の横を通って今の国道175号線に出て太山寺に向かったのでしょう。
さらに東進すると神戸刑務所の裏に「大道池」があります(写真右下)。小さな池ですが説明版があり、それには「池の前の道が古代山陽道で、大道池と名付けられた」とあります。しかし現在推定されている古代山陽道からは約800m離れています。従ってこの「大道」は古代山陽道ではなく、 鎌倉時代に作られた「筑紫大道」に由来すると考えている研究者も います。
鳥羽新田八幡神社などを見ながら東に進むと、道は途切れとぎれにな っ て い ま す 。
「 あ か し文化遺産マップ」を頼りに進み、国道175号線を 渡って吉田南遺跡に到着しました。

実はこの道は、吉田南遺跡と長坂寺遺跡を結ぶ ルートで、奈良時代の郡衙と郡衙を結ぶ「伝路 と考えられています(木本雅康 2013 兵庫県古代 官道関連遺跡調査報告書II「明石・賀古・印南の 古代伝路」)。 人工的に作られた古代山陽道に対して、伝路は以前からあった生活道路を整備して作られたもので、奈良時代以前、ひょっとすると古墳時代からあった道なのかなと思いを馳せた次第です。

次は、この道が西に延びて「大道橋」があ る稲美町の「伝路」を歩いてみようと思います。

S.K 記 会報から転載




「 西国街道を歩く 」
阪急西山天王山駅からJR向日町駅



阪急西山天王山駅 → 恵解山古墳 → 神足神社 → 勝龍寺城跡 → 『神足商店街』 → JR神足駅名標 → 神足墓地石仏群 → 長岡京発見の地碑 → 一里塚跡碑 → 一文橋 → 『下河原の町並み』 → 『島坂』 → 朝堂院公園 → 石塔寺 → 五辻の常夜灯と道標 → 長岡京跡大極殿公園 → 日像上人説法石 → 向日神社 → 北山遺跡 → 元稲荷古墳 → 梅ノ木道標 → 築榊講常夜灯 → 深田橋と光明寺道標 → JR向日町駅




山崎の里(大阪)散策
天王山越えで京都へも:JR島本駅から、阪急西 山天王山駅(京都)



1 0 月 2 4 日 ( 月 )。 初 端 か ら の ケ チ の つ き 始 め か ?
線路点検のため、西宮駅で電車が止まる。動かない。集合時間に絶対遅れる。やっと動けば前の電車が詰まってる。
かくして歩こう会は30分遅れで出発しました。 参加者は 19 人。

JR 島本駅(大阪)→広瀬の渡し→水無瀬神宮→柳谷 道の道標→山崎ウィスキー館前をすぎ→西観音寺跡 →関戸町地蔵尊→焼残り門と芭蕉句碑→宗鑑邸跡→ 関大明神社→国界碑→山崎駅跡→山崎の渡し→離宮 八幡宮→妙喜庵→山崎廃寺跡→山崎津跡→大山崎東 黒門跡→久我綴の分岐点→狐の渡し道標→百々遺跡 跡→山崎合戦古戦場跡→葛原親王塚→小倉神社常夜 灯→調子八角の道標→境野1号墳光秀本陣→阪急西 山天王山駅(京都)、と歩きました。

今回は前川副館長、岡本課長のご参加をいただきました。毎回いただくEさんの丁寧な解説冊子を見ながら、また、解説を聞きながら、テクテク歩きました。
水無瀬神宮では、 名水百選のひとつ 「離宮の水」をボトルに次々詰める人を 横目にお参りしました。

西観音寺は、天平 18年(746年)、 僧・行基が開きました。行基(&工人集団)は困窮者救済や社会事業で有名です。播磨・摂津の5泊を開き、江井ケ島には碑もあるよ。

離宮八幡宮、大山崎神官により発明された搾油器で エゴマ油を絞り、大山崎神人はエゴマ油の専売権を持ち、栄えました。常夜灯は元禄16 年作の古い宮です。
山崎廃寺跡はふるさとセンターの下敷き、山崎津跡 はマンションの下敷きになっていますが、説明の看板を立て、残そうとする京都府の方針は歴史を大事にする様子が伺われます。

山崎合戦古戦場跡、川をはさんだ羽柴秀吉と明智光秀を思い浮かべ、そこから見えるサントリービール工場は ビール片手に合戦の情景を読む歴女を思い浮かべました。
光秀本陣は境野1号墳の上とされている のはご存知ですか?「そりゃあ 負けるわ」とは、思わず漏れたある参加者のお言葉でした。

(真砂子 記) 会報から転記




JR高槻駅から JR島本駅



2022年 5月

宮処、京から太宰府を結ぶ山陽道は、平城京の時代には南山城から樟葉へ、樟葉から淀川を超えて神南備山の南麓につきます。
長岡京の時代には山崎を経由して神南備山の南麓に、そしてヘ平安京の時代になると羅城門から鳥羽の作道(とばのつくりみち)、久我縄手(くがなわて)、山崎へ・・となります。

ルート :距離約11km

JR高槻駅 ー 天神町1の道標 ー 上宮天満宮 ー 昼神車塚古墳 ー 能因法師の道標 『花の井』の道標 ー 安満(あま)遺跡公園 ー 磐手杜神社(いわてもりじんじゃ) ー 檜尾山春日神社(ひおやまかすがじんじゃ) ー 桧尾川両岸の地蔵尊 ー 梶原寺(畑山神社) ー 梶原南遺跡 ー 桜井駅史跡公園 ー JR島本駅







遺跡巡り:記紀かじり




見野古墳群と姫路市埋文を見学



10 月 21 日、気持ちの良い秋晴れの一日、多くの古 墳が点在する姫路市四郷町を探索。
参加者は、案内役 のMさんを含め8人。

JR 御着駅、姫路市埋蔵文化財センターをそれぞれ出発し、最初の火山古墳近くの大年神社に集合。(この地域には同じ名前の大年神社が 複数、少なくとも三つ以上あるのでご注意を。)

大年神社に隣り合う、元禄の年号が彫られた灯籠のある毘沙門堂から、山裾の倒れた竹が放置されたまま の竹林に分け入り、石組みが露わになった火山古墳 (群)に到着。 その古墳を前 にして、Mさんから古墳 時代のレクチャーを受けると、周り中が古墳に見えてきます。

次に目指したのは見野長塚古墳。区画整備された広い稲田の真ん中にセイタカアワダチソウの茂る一角が、
多分あれが目指す古墳かと。しかし、稲刈り真っ最中の田のほぼ中央のため、近寄ることが出来ず、古墳であることは確認できませんでした。

更に西 へ進み、姫路市と兵庫県の指定史跡見野古墳群。ここは、公園化され、日当たりの良い斜面に、1号~18 号が点在しています。 中でも、6号墳は珍しい双室墳で 「夫婦塚」、10 号墳はその大きさから「姫路の石舞台」と名付けられています。

見野の里交流館で小休憩の後、阿保古墳群を探索。 背丈ほどもある高さの薮コキしながら、尾根道近くま で山道を登りましたが、発見できず。 下り道の途中で、 林の向こうにやっと古墳をひとつ見つけましたが、30 基ほどあるはずの古墳群で、収穫はそれだけ。山の中 の群集墳は、なかなか確認できませんでした。

その後、隣接する東阿保豊川稲荷の境内にある、大きさでは「姫路の石舞台」と引けを取らない「阿保古墳群・3号墳」を見て、最終目的の「宮山古墳」を目指します。 「宮山古墳」は、この辺りでは最大の円墳。 竪穴式石室が三つもあり、副葬品にも「垂飾り付き耳 飾り」など朝鮮半島からの影響が顕著な古墳です。

なんと、Mさんは高校生の頃、この古墳の発掘に参加された経験があるとのことで、熱のこもった説明に、 皆さん納得されていました。
隣接する埋蔵文化財センターに立ち寄り、近辺の古墳からの出土品の展示の 数々(装飾付須恵器など)を見て、今回の例会は終了しました。

この宮山古墳から下りる途中で、Wさんが、5 cm 以上の大きさの文様のある須恵器(?)のかけらを発 見。Mさんが文化財センターへ届けられたので、も しかしたら、将来展示されるかも。
ゆったりした、一 部厳しく、楽しい一日を過ごすことが出来ました。企 画、案内して頂いた皆様ありがとうございました。

(M.M 記) 会報から転記

 

佐紀盾列(たたなみ)古墳群 
; JR近鉄平城駅から JR近鉄新大宮駅



2021年 12月

ルート :距離 

五社神古墳(神功皇后陵)ー 佐紀石塚古墳(成務天皇陵)ー マエ塚古墳 ー 佐紀陵山古墳(日葉酢姫陵)ー 佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)ー  瓢箪山古墳 丸塚古墳 ー 佐紀猫塚古墳 ー 塩塚古墳 ー オセ山古墳 ー 平城京跡;神明野古墳 ー 市庭古墳(平城天皇陵) ー コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地)ー ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)ー ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)







<佐紀盾列(たたなみ)古墳群 遺跡巡り>

 コロナ蔓延も予防接種が行き渡るにつれて ようやく下火になり、待ちに待った2年ぶりの遺跡巡りに行ってまいりました。
 古墳時代、平城京の北側佐紀地域に大きな古墳が集まって築造されております。皇后の墓が集まり、コナベ ウワナベは前妻後妻の意味という話もあり、いろいろ物語を妄想しながら古墳もうでへと出発!

 総勢8名。企画者より 図録付きの解説パンフレットをいただいて、蘊蓄と解説は ご存知!KさんとMさん。
 近鉄平城駅に降り立ち、古社神古墳(神功皇后陵)??マエ塚古墳??佐紀石塚古墳(成務天皇陵)?佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)??佐紀梁山古墳(日葉酢媛陵)?瓢箪山古墳??佐紀猫塚古墳??塩塚古墳??

 宮内庁管轄の古墳と普通の古墳の違いなどトリビアを聞きながら、古墳群をあっちへぐるぐる、こっちへぐるっと周りと ひたすら歩きました。木々やシダが紅葉黄葉して眼福でしたよ。
 
平城京跡で昼食。推定宮内省の模倣建物とひろ〜い跡地を散策しました。朱塗りの鮮やかな建物も美しく、当時の様子を思い浮かべれば、建築技術の高さや様式に大陸との交流がうかがわれます。

 市庭古墳(平城天皇楊梅陵)??ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)??コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地)??ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)。
古墳周囲の堀を歩いて、いかに大きな古墳であるかと実感していると、
突如
“航空士官候補生学校”脇に出て、日の丸マークの戦闘機や都市迷彩を着た人やトラックを走る訓練生という風景を見ることになりました。金網柵に張り付くみなさん。(男の人は大きな男の子、好きよね〜。実は私も好きです。) 
古墳を覆う鬱蒼とした木々と堀に心を囚われた古代から、一気に現代に引き戻された瞬間でした。
車の通行が忙しい大通りに出れば、ビルやマンションの見慣れた現代風景の中、南へ歩いて、阪神新大宮駅から、帰宅の途につきました。いや〜楽しかった。
                         真砂子 記 会報から転記


たつの市御津町:
朝臣山と権現山の古墳散策



みはらしの森から登っていきます。
歩行距離 約5km 2万歩程度


古墳群への道程は 木々に結ばれた赤いリボンを 目印に たどっていきます。道のない所を 厚い落ち葉の上を歩くので、滑りやすく ストックがあった方が良いです。
遭難防止に みはらし会で ボランティアガイドさんをお願いして、登られることをお勧めします。



勉強勉強たっぷり、汗はびっしょりたっぷり、

7月 23 日(土)、今年1月に実施した古墳散策と同じコースを 12 期のMさんの引率のもと、倶楽部員4人が参加して行われました。

午前 10 時過ぎ、スタート地点「みはらしの森」に到着する。
野外で地元の”自然ドキドキ発見隊“の子ども中心で流しソーメンを楽しんでいるのを横目に、いよいよ出発。
ガイドマップ 「ロマンあふれる 古墳の町」のタイム スケジュールに沿って進んで行く。
山道に積もった落ち葉に足をとられるも、笹をかき分けて 朝臣 11 号墳、3号墳、2号墳と回る。
セミが鳴く木立の間を進むにつれ、だんだん暑さで息苦しくなり、汗が噴 き出してくる。服は汗でびっしょりとなる。

Mさんの要所要所での説明にうなずきながら、古墳の形態を観察する。墳丘の周囲には埴輪、土器の破片が露出している。それらは勝手に動かしたり持ち帰ったりせず、そのままの状態にしておくか、所轄の所へ届け出するのが基本とMさんから教わる。
また、古墳の散策で 山を歩くときは、坂本九の歌の「上を向いて歩こう」ではなく、下を見て歩くのが基本だとも、 何となく理解できる。

7号墳を過ぎた道の脇の木に『珍樹「ゴリラ」』 と書いた看板が掛かっている。よく見ると幹の 節が何らかの変異でコブ状に盛り上がっており、 正面から見るとその姿がゴリラに見える。
4号 墳、5号墳を回って 下山して、 伊和神社 の鳥居前 の「碇岩」 の伝承を 聞き、昼食 を摂る。

休憩後は権現山に登り、権現山 72 号墳を皮切りにたくさんの横穴式石室を観察して行く。
玄室の石の積み方、石の大小での違い、袖部の 呼称等をMさんから説明を受けながら、実際に中に入って見る。 眼前の苔むした石に何か哀愁を感じる。
ここに葬られた人は、どのような人なのか想像していると、親近感を覚える。

51 号墳、50 号墳の墳丘の上に立ち周囲を見 渡してみると、何と大きいものかとひたすら感心する。
揖保岩見神社のご神体の岩が祭られている(勝手に推測?)展望所で眼下に広がる絶景を眺望して、神社に下り、みはらしの森に予定より約1時間遅れたが、無事到着した。
最後に、みはらし会会長の塚本敏昭さんから会創立の経緯、散策コースの維持管理などの説明を受け、帰路についた。楽しく充実した1日であった。

(M.M 記・H氏写真)会報からの転記





M少年の故地巡り クマが出た?

11 月6日(月)みはらしの森“朝臣山と権現山”

古墳散策コースへ、Mさんの案内で行きました。 そこは、たつの市御津町で、Mさんの実家の近くです。まさに考古ボーイ誕生の聖地です。
近くにある小丸山古墳で、14歳の頃から古墳に 興味が湧き、高校進学と同時に迷わず考古学部に入部。
17歳の春休みの前に1人で朝臣山を散策しているときに、埴輪片と鉄器片を採集し、朝臣4 号・5号・7号墳と出会う。
正に 53 年前の萬代少 年が埴輪片と鉄器片を採集して、発見した古墳へ 倶楽部員7人が行ったわけです。


朝臣山登り口のみはらし会事務所に10:10過ぎに集合。M さんに本日の 行程を説明し て貰い、10: 25頃に元気よ く出発!

雨が 降ったりやん だりの中を、 標高100~130m位の低い山の尾根道を上っては下り、下っては上るのアップダウンの山道でした。
途中休憩を取りながら、古墳に着いたら、全員で Mさんの説明を聴き、身体も頭も良い運動になりました。

次は、展望台に到着。晴天だったら360°の綺麗な絶景が望めただろうが、今日はグレーの雨雲の中でした。クマ(熊)が出てきそうな山の中です。
「クマ、大丈夫ですか?と聞くと、「クマは、明日 目の下に出る~」とか。相変わらずのMさ節で笑 いも絶えません。

先ほどまで小降りだった雨が、だんだん本降りになり、お弁当を食べるのに、出発点のみはらし会事務所へ。
びしょびしょで戻ると、事務所の方 が温かく迎えてくださって、場所を提供してくださいました。みんなで楽しくお弁当を食べて、休憩。

昼から権現山へ行くか行かぬか相談しましたが、雨の中、もうびしょ濡れで歩く勇気は失せて、 悔しいが次回へ持ち越しに決定!
残念無念。権現山へは、ぜひリベンジしたいです。
初めての古墳巡り、Mさんの説明や看板がなければ気付かずに、普通の山道と思って通り越してしまうでしょう。
よくこんな山の中でM少年 は埴輪片とか鉄器片を見つけたなあと思いました。

M,Y 記 会報から転載