ひょうご考古楽倶楽部では、毎年、ボランティア新人研修終了後の新会員の歓迎会として、遺跡や古墳へバズ旅行を行っています。
「
また、「古代山陽道歩こう会」による企画では 実際に石碑や道標を見ながら、山陽道、西国街道を1日かけて歩きます。
「聞紀かじり会」による企画では 古墳群を歩きます。
各々 企画した有志が道中の遺跡や史跡を色々調べて小冊子を作り、薀蓄やトリビアを披露するガイドにもなります。
参加した会員は紀行文を倶楽部の会報に紀行文を投稿します。
その会報から転載しますので みなさま 歴史愛好家
の方々のウォーキングプランの参考にしていただければ幸いです。
近年3年くらいのものを転載いたしますが、変わってしまった場所もあるかもしれません。お出かけされる方は 事前に情報をお確かめください。
一応、時系列に沿って掲載しております。ご参考にされてください。
2月5日、記紀かじり会主催の2月度例会【世界遺産百舌鳥・古市古墳群、遺跡巡りパート?】を開催しまし
た。昨年10月23日に実施したパート?(17人参加)の続編です。
参加者は Mさん12期、Iさん20期をガイ
ド役に、会員+
Tさん(職員)の合計14人。
1週間前から心配された雨は心配された通りに雨で
(泣)、
「なんでこの日だけが雨や!」と雨男に逆恨み。
ところが参加者の平素の行いが良かったために、傘が必
要な場面は最初と終盤の一部だけで、殆ど傘を差さなく
ても歩ける状態だったのはラッキーでした。
古墳頂から
の生駒連山の南端、二上山、金剛山、アベノハルカスも
見ることができました。
親切な学芸員さんを質問攻めに
今回は雨を前提に、楽しめる六つのポイントを設定。
登れる古墳を4基チョイス(鍋塚:方墳50m、古室山:前方後円墳150m、大鳥塚:前方後円墳110m、野中:
方墳34m)。
羽曳野市文化財展示室ですべて本物の出土品を見る→解説が普通は無いのですが、親切な学芸
員の本田さんが隣の市役所から来られて説明していただけました。で、
ここぞとばかり皆で質問攻め(笑)、(個人的には古市大溝の細かいル
ートを聞けたのは収穫でした)本田さんに感謝!
道明寺天満宮で梅
園と梅盆栽をめでて春の訪れを楽しむ(雨のため香りがやや薄かった
か)、併せて敷地内にある出土実物大復元品
の修羅を見学。
古市古墳群が成立してい
った順番や、なぜ応神陵は二ツ塚古墳に遠
慮するようにできているのか、等の様々な
興味深い解説とお持ち帰り資料をご提供
(出典:羽曳野教育委員会編 藤井寺の遺跡ガイドブック#1)。
雨に打たれて冷
えた体に王将のラーメンが暖かいゼ、な昼食タイム、
古墳にコアな人も大満足間
違いなしの古墳グッズ専門店「河内こんだハニワの里大蔵屋」でのグッズ購入タイ
ムの設定を致しました。
コースは、近鉄南大阪線土師ノ里駅10:00スタート→唐櫃山→市野山→鍋塚→道
明寺→道明寺天満宮→三つの方墳→仲津山→古室山→赤面山→盾塚→誉田丸山→大鳥塚→誉田御廟山拝所→
昼食・王将→アリ山・東山→河内こんだハニワの里大蔵屋→野中→墓山→向墓山→羽曳野市文化財展示室→誉
田白鳥埴輪製作施設→近鉄南大阪線古市駅に15:30ゴール。(下線は登れた古墳)
記紀かじり会も2月2日の例会で、「日本書紀」巻第十四 大初瀬幼武天皇(雄略天皇)を読了しました。
そ
の内容の印象も鮮やかなうちに、5世紀のいにしえに想いをはせて歩く、そんな一日になったのではないかと
思います。さあ、次回はどこに行きましょうか、倶楽部員の皆さんの参加をお待ちしています。乞うご期待!
(T・I氏 記・撮影)
修羅 |
小室山古墳 |
|
小室山古墳を登る |
羽曳野市文化財展示室 |
鍋塚墳 |
35 人、よろめかず、しっかり見学
5 月 21 日(日)、春季特別展「古墳時代の技術革新」 関連イベントとして古墳時代初期古墳の姫路市・丁瓢塚(よろひさごづか)古墳をメインに周辺の古墳を巡った。
当日の参加者は、22 人(阪神地区6人、東播地区5人、 西播地区8人、北播地区1人のほか名古屋市1人、広島 県廿日市市1人)、倶楽部スタッフ 10 人、博物館学芸課 篠宮さん、渡瀬さん、学習支援課野島さんも参加された。
10 時 30 分に、はりま勝原駅南口を出発。
新快速延着により、2 人の方が最初の目的地の春日神社・山戸 4 号 墳で合流となった。
山戸 4 号墳は、3 世紀前半の前方後 円墳で竪穴式石槨・壺棺などについて、Mさんから解説があった。「M節」は絶好調。丁瓢塚古墳では、墳丘に上がって箸墓古墳との相似性(10:4)を実感し、集合写真を撮った。
参加者の中からは「未調査であることが残念」との声があった。
少し遅めの昼食は、丁古墳公園(勝山古墳群 1 号墳~5号墳)で。横穴式石室を持つ 5 基の円墳が保存されている。
この周辺には、100 基を超える後期・終末期古墳が あったようだが、宅地造成などで失われた。ここでは、 篠宮さんが解説をされた。
次は、下太田廃寺で、塔跡は県指定史跡となっており、 KAさんから「播磨国風土記」にも触れた解説があった。
その次は吉備神社で、KOさんから吉備との関係や境内に保管されている用水路の橋に転用されていた家形石棺の蓋石の説明があった。
それから、歩いたコースが見渡せる愛宕神社で、篠宮さんに各古墳の位置や変遷について総括的な説明をしてもらい、参加者からの質問にも答えられた。
最後に、神功皇后が新羅出兵のおり船を?いだといわれる船つなぎ岩で、Mさんから解説があった。
網干駅には、15 時 20 分到着。
(K.Y記 会報から転載)
3 月 25 日(水)、前日からの雨も上がり、少し肌寒い中、播州赤穂駅に降り立ち、徒歩 15 分で、集合場所である赤穂城大手門前に到着した。
参加者は、21 人(男 性11人、女性10人)。
学習支援課の永恵裕和さんとともに、午後 1 時から 国指定史跡「赤穂城跡」の見学に出発した。
まずは、 三の丸から二の丸、本丸。そして、天守台(閣)へと歩を進めた。
それぞれの場所で、国指定の内容の説明を受け、城の構造や石垣について教えてもらった。受けた説明を下記にまとめてみた。
・地形の要を得たもの
南側が海中にあり、海からの攻撃がないならば、北側の陸のみが防衛正面となる。
・総体形態はよく遺存する
土塁や石垣、濠はほぼ残存している。
明治 9 年の飾磨県による建物払い下げ公告の資料によると、櫓、多門、門、番所、土蔵が実存していた。
・軍学の手法を取り入れた近世城郭史上価値がある。
1,500 人前後に合う防御機能を想定して築城する。
効率的な防御を考えた構造になっている。
三の丸、本丸に家臣団屋敷や御殿が連なるので、城内通路に制約をもうける。
これまでの赤穂城跡は、大石神社に行った時にたち寄って、散歩した程度のものでした。
今回説明を聞き 大手門を抜けると重臣屋敷の長屋門があったり、三の丸、本丸に家臣団屋敷や御殿が連なっていたり、城郭が様々に屈曲を盛った縄張りや曲線を描く石垣になっていたり、という特徴を知りました。
昔の人々の戦いに備えるための作戦や知恵を知ることができ、勉強になりました。
(R.H記)会報から転載
世間では成人式(20 才のお祝?)や出初式等々、 何かと賑わいをみせる年明けの 3 連休、中日の1月8日、和田館長と我々11人の一行 12 人は、天理市の古墳と博物館見学三昧でした。
先ずは、朝 8 時 22 分阪神三宮発の電車で 11 人は一路天理市へ、駅からはタクシーに分乗して最 初の目的地、西乗鞍古墳へ向かいました。
西乗鞍古墳は、奈良盆地東縁・天理市南部の丘陵の麓を切断して築造された杣之内(そまのうち) 古墳群の大型前方後円墳(全長 118m二重掘割) です。確かに、墳丘頂上まではちょっとした山登り気分。相当な広さの頂上に立つと奈良盆地が見 下ろせました。
次に、すぐ東隣の東乗鞍古墳へ。横穴式の玄室に入ることが出来るとの情報でしたが、運動公園の駐車場や柿の木畑を突っ切ってとりついた先で 墳丘頂上へ至る道が良く分からず、目当ての墓穴 も危険な為と立入禁止でシートと竹垣に阻まれました。何とか懐中電灯で垣根の隙間から覗くと、 玄室は大半埋まっている様子でしたが、棺のよう な平らな石が見えました。(館長のお話では、阿蘇のピンク石の石棺があったそうです)。
2つ目の目的地なら歴史芸術文化村で開催されている『発掘された日本列島 2022 展』では館長と合流し、展示の解説をして頂きました。
私事ですが、印象深かったのは、直前のテレビ番組で紹介された、当麻寺の阿形仁王像(ミツバチに頭部を占領されていた)の修復現場が、展示されていた事と、本展展示の縄文の大型壺の大迫力に館長が「あれが理解できるのは岡本太郎」って言われたことでした。
ボリューム満点の昼食の後は次の目的地、天理 高校の敷地内の西山古墳へ。
杣 之 内( そ ま の う ち )古 墳 群 の 中 で も 最 も 古 く 、 下段が前方後方墳としては日本最大(183m)、更 に中段から上が前方後円形となっているという特
殊な墳形を持つ古墳ですが、残念ながら雑木雑草に覆われ、巨大な外形の見学だけになりました。 隣接した円墳塚穴山古墳も見学、こちらは墳丘 上部の土はすでに剥がされ天井石もなくなっていますが、明日香の石舞台に匹敵しそうな巨大な鏡 石を持つ玄室に長い羨道をもつ古墳で、私には飛 鳥の蘇我氏に対抗する布留の物部氏を彷彿とさせる古墳でした。
そして最後に、館長の解説付きの贅沢な天理大学付属の天理参考館の見学。こちらでは日本の古代だけでなく、アジア一円の民族資料も多く展示 されて興味深い博物館でした。
(M.M 記)
今回の歓迎バス旅行は20期生の企画
で和田名誉館?・菱田館?をお迎えして
飛鳥時代へいざタイムトリップ!
4月20日(土)曇り
行き先 奈良飛鳥地方
参加者 48人
特別招待者
和田名誉館長
菱田館長
世話役 20期生
播磨町役場→JR土山→
尼崎P→近鉄飛鳥駅→牽牛子塚古墳→昼食処めんどや
→石舞台古墳→中尾山
古墳→高松塚壁画館高→松塚古墳→奈文研飛鳥資料館→道の駅かつらぎの行程でした。
新21期生の自己紹介、クイズ、解説、ビンゴに加えて、柿の葉寿司店でお土産タイムも。
当日は薄曇りでしたが気温24度と高く、坂の多い道を3〜4km歩いた為 少し大変だったかもしれません。
お世話役の20期生10人が役割分担をして、チームワーク良く、きめ細かく準備されていたのが印象的でした。
(A・N 記)
【21期生のバス旅行記より】
■実際に行ってみるとTVで見るのとは大違い、牽牛子塚古墳はすごかった。
プチ登山級の大きさと現代建築みたいな八角形、コンクリートの打ちっぱ
なしではなく、当時の再現と聞いて、高度な加工技術とセンスを持ってい
たのだと感動。
「斉明天皇様、飛鳥時代の人の技術を侮っていてごめんなさい」
もっと飛鳥時代のこと知りたくなった、楽しい1日でした。
(K・I記)
■今回のバスツアーは、私にとって大変印象深いものでした。
牽牛子塚古墳での菱田館?による地図では分からない風水思想に基づく地形のご説明や、石舞台では和田名誉館?が私の稚拙な質問にも真摯にお答え頂いたこと
には、深く感銘を受けました。
(I・U記)
■新緑のまぶしい季節に、久しぶりに明日香を訪れました。
残された石室・彩色
された壁画・古代の星座図など、凄いものが地中に残されておりました。
初めて
見た発掘者の気持ちは、どんなだったでしょう。
日本の原風景とも言えるような
明日香のたたずまいに触れ、心洗われました。
(Y・N記)
■牽牛子塚古墳から私の古墳に対する知識の浅さに気づきました
古墳たるものを根本的に知らなかったのです。
そして飛鳥の町は、全てが素晴らしく、どこを見渡しても切り取った絵のようで心が洗われ、感激しました。
古代に思いをいを馳せ、自然の中でタイムスリップしたような1日を味わい、貴重な体験をさせていただきました。
(F・A記)
■初めて古墳を見る私にとって田園風景の中に白く輝く八角墳の牽牛子塚古墳、
想像以上の巨石の石舞台古墳を目の前にし、ただただ驚くばかりでした。
古墳の
裏にある物語、人々の歴史、今まで知らなかった事をこれから沢山知りたいと思
える旅でした。
(M・T記)
■斉明天皇と娘と孫娘が眠る牽牛子塚古墳で、菱田館?のお話、ビデオ解説、辻立ちボランティアさんの説明を
伺いました。
昼食は見た目にも可愛らしい2段弁当に舌鼓を打ち、石舞台古墳へ。
次の高松塚
壁画館では色彩の鮮やかさに驚き、中尾山古墳では築造当時の八角墳の面影を感じ、飛鳥資料館では
ランボランティアさんの解説が素晴らしく、よく理解できました。
お天気にも恵まれ、若葉が眩しい飛鳥の地に
て、肌で歴史を感じることが出来ました。
(A・N記)
注:会報より転載しておりますが、一部省略しております。
12月5日(火)に豊岡・出石へ20期生歓迎バスツアーが行われました。
館から和田晴吾館長をお迎えし、K氏代表以下30人の クラブ員が参加。
そのうち20期生は9人と多く参加しました。
新規クラブ員歓迎バスツアーは今年で累計18回目になります。そして、地元兵庫県内に足を運ぶのは16期歓迎の淡路を直近として計2回行っており、今回は県内の3回目となり、出石~豊岡~ 和田山の順に訪問しました。
播磨町役場・JR土山駅を予定通りに出発。播但道を走るバ 内で和田館長にご挨拶頂き、20期生自己紹介、
そのあとはN.Kさん(14期)による、豊岡方面に関連した地元クイズタイムです。
クイズというより、試験問題のような(!?)16問の筆記難問に四苦八苦。それでも正答の第1位は15問正解した17期のK.Mさんでした(凄い!)。
そして、和田館長には訪問する豊岡・ 和田山・出石地域の遺跡・古墳の状況や時代的位置づけを詳しく 解説を頂戴致しました。
そのうちに最初の目的地の【いずし古代 学習館】へ到着。学芸員さんに説明を頂きながら、我らの館でも 展示しています袴狭遺跡の大量の人形や木簡、船団線刻木板(複製)、土器、刀剣、鏡、役所跡の出土状況などを見学しました。
なお、【いずし古代学習館】では、館長様のご厚意で、ロビースペースをお借りして、20期生9人とMさん(特別出演)による、寸劇的オリジナル小芝居を上演いたしました。
ストーリーは、玉津田中のムラが、丹波のクニから買った鉄や勾玉の支払い代金に相当するアカガシの鍬100本が納期に間に合わず、丹波の王と兵士が取り立てに来るが、なんとか全員一致して追い返すというもので、笑いと涙の寸劇を見れば弥生の暮らしがリアリティを伴ってよく判るという内容でした(笑)。
そして出石といえば、皿そばですね。出石城の近くの城山ガーデンで、皿そば&焼き肉の 食事を頂き、次の目的地の豊岡市歴史博物館へ。
ここでも学芸員さんに解説を頂きながら土器、木簡、瓦などを見学。
こちらでは弥生や古墳時代他の暮らしを、館員さんが皆さんで上 手な絵を書いて表現されているのが印象的でした。
次に北近畿道で朝来市和田山町に入り、【茶すり山】古墳を見学しました。全長90mの近畿 最大級の円墳で、我らの館でも池田古墳と共に展示紹介しています。
登ってみると、結構な 高さと大きさで、迫力満点です。墳頂からの眺めも良く、山の尾根筋をそのまま利用して造成した円墳であることがよく判ります。
埋葬主体は2か所あり、未盗掘で鏡、武具、刀剣、玉など一級の副葬品と、埴輪列、葺石(一部見れます)を持つ、但馬全域を治めた王の墓と言われています。
なんでも、当初は新設される北近畿道が遺跡をまっすぐ通る予定だったそうで、当古墳の重要性に鑑みてルートが変更されたとのことです。
次に山東PA【道の駅 但馬のまほろば】併設の【朝来市埋蔵文化財センター古代あさご館】へ。城ノ山古墳、池田古墳、茶すり山古墳の出土品などを見学しました。
併せてその道の駅でお土産タイムとし、一路土山へ帰路に着きました。
バス内では、 恒例のビンゴ大会をS.Sさん(18期)に大いに盛り上げて頂きました。
予定通りの時間で、全員無事にバス旅行を終えることができました。
今年は12月に入っても比較的暖かく、天候も雨の予報でしたがなんとか持ちこたえ、雨に濡れることも殆んど無い一日でした。
充実した遺跡を見学し、倶楽部員同士の交流も進むなど大満足の1日となりました。
18・19期の皆さん及び事務局の方々には企画・準備・運営にご尽力いただき感謝を申し上げます。
(20期 T,I 記・撮影)
1
きびきび行動、初秋の吉備路を訪ねる
待ちに待ち、3年ぶりの歓迎旅行が、倶楽部設立20周年記念事業も兼ねて、10月1日に行われました。桃太郎伝説の鬼 ノ城をメインに初秋の吉備路を訪ねました。和田晴吾館長、前川浩子副館長、新田宏子学習支援課主査も参加され、倶楽 部員36人で拝観、見学、お買い物にと、忙しかったけれど充実した一日を楽しみました。
コロナ禍で延び延びになりましたが、岡山県の旅行助成金があり、またお買い物クーポン券で、何だかお得感のあったバス旅行でした。
19期生 M.K
当日は初秋のさわやかな日となりました。JR土山 駅南側に集まり、迎えのバスを待ちました。それぞれ 今日の予定表等が入った封筒をもらい、バスに乗り込み出発。途中、龍野SAでトイレ休憩をして、まずは 吉備津神社へ向かいました。
車内では幹事さん作成の 古代史のクイズで大いに盛り上がりました。
吉備津神社に到着。参拝して写真を撮り、車中で昼食となり、このご時勢なので黙食で静かに食べました。
楯築遺跡を目ざして出発しました。楯築遺跡では山道をテコテコとよじ登り、山上で遺跡を見ました。大きい石で造られていた様子がよく分かりました.
ただ現在は水道の貯水タンク設置で一部犠牲となっていたのは残念でした。
次いで一路、砂川公園を目指して出発しました。砂川公園ではA班と B班に分かれ、A班は別のマイクロバスで鬼ノ城へ、B班は乗ってきた 大型観光バスでゆっくりと吉備風土記の丘へ行きました。両班は再び砂川公園に戻り、互いにバスを乗 り替えて、両方見学しました。
鬼ノ城は高台にあり、ものすごい山道で足がついて行けませんでしたので、私は途中で行くのを断念して遠くから鬼ノ城を見ました。そこから総社市内を見渡せる絶景も楽しみました。その後、砂 川公園に戻り、マイクロバスに乗り替えました。
備中国分寺には五重塔があり、その横にこうもり塚古墳がありました。巨石で作られた石室は奥深く、行けないようになっていました。
その後、倉敷美観地区に行きました。何十年ぶりに訪れた所でした。大原美術館も外から見て、久しぶりに思い出しました。川舟もあり相変わらずの風情にうっとりしました。ぶらぶらと散策してバスの駐車場へと帰りました。そして無事にJR土山駅に着き解散となりました。
途中、館長さんの古代史の解説もありました。帰りにビンゴゲームもあり、退屈しないように楽しめました。JR土山駅の店で有志数名で慰労会を開いて充実した一日の終わりとなりました。
天気に恵まれ、ほとんど予定通りの時間で終えたのは素晴らしい事と思います。
真砂子 記
今回で兵庫県を踏破するということで、気合も入りますが、参加者は少なく、のんびり歩いていく「歩 こうかい」となりました。 |
11 月 12 日(日)に「賀古駅家と古代山陽道を歩く」の遺跡ウォークを実施しました。 |
2021年、「明石の古道と駅・宿」とのテーマで、 明石市立文化博物館で「発掘された明石の歴史展」がありました。 |
阪急西山天王山駅 → 恵解山古墳 → 神足神社 → 勝龍寺城跡 → 『神足商店街』 → JR神足駅名標 → 神足墓地石仏群 → 長岡京発見の地碑 → 一里塚跡碑 → 一文橋 → 『下河原の町並み』 → 『島坂』 → 朝堂院公園 → 石塔寺 → 五辻の常夜灯と道標 → 長岡京跡大極殿公園 → 日像上人説法石 → 向日神社 → 北山遺跡 → 元稲荷古墳 → 梅ノ木道標 → 築榊講常夜灯 → 深田橋と光明寺道標 → JR向日町駅 |
1 0 月 2 4 日 ( 月 )。 初 端 か ら の ケ チ の つ き 始 め か ? |
2022年 5月 |
10 月 21 日、気持ちの良い秋晴れの一日、多くの古 墳が点在する姫路市四郷町を探索。
参加者は、案内役 のMさんを含め8人。
JR 御着駅、姫路市埋蔵文化財センターをそれぞれ出発し、最初の火山古墳近くの大年神社に集合。(この地域には同じ名前の大年神社が 複数、少なくとも三つ以上あるのでご注意を。)
大年神社に隣り合う、元禄の年号が彫られた灯籠のある毘沙門堂から、山裾の倒れた竹が放置されたまま の竹林に分け入り、石組みが露わになった火山古墳
(群)に到着。 その古墳を前 にして、Mさんから古墳 時代のレクチャーを受けると、周り中が古墳に見えてきます。
次に目指したのは見野長塚古墳。区画整備された広い稲田の真ん中にセイタカアワダチソウの茂る一角が、
多分あれが目指す古墳かと。しかし、稲刈り真っ最中の田のほぼ中央のため、近寄ることが出来ず、古墳であることは確認できませんでした。
更に西 へ進み、姫路市と兵庫県の指定史跡見野古墳群。ここは、公園化され、日当たりの良い斜面に、1号~18 号が点在しています。
中でも、6号墳は珍しい双室墳で 「夫婦塚」、10 号墳はその大きさから「姫路の石舞台」と名付けられています。
見野の里交流館で小休憩の後、阿保古墳群を探索。 背丈ほどもある高さの薮コキしながら、尾根道近くま で山道を登りましたが、発見できず。
下り道の途中で、 林の向こうにやっと古墳をひとつ見つけましたが、30 基ほどあるはずの古墳群で、収穫はそれだけ。山の中 の群集墳は、なかなか確認できませんでした。
その後、隣接する東阿保豊川稲荷の境内にある、大きさでは「姫路の石舞台」と引けを取らない「阿保古墳群・3号墳」を見て、最終目的の「宮山古墳」を目指します。
「宮山古墳」は、この辺りでは最大の円墳。 竪穴式石室が三つもあり、副葬品にも「垂飾り付き耳 飾り」など朝鮮半島からの影響が顕著な古墳です。
なんと、Mさんは高校生の頃、この古墳の発掘に参加された経験があるとのことで、熱のこもった説明に、 皆さん納得されていました。
隣接する埋蔵文化財センターに立ち寄り、近辺の古墳からの出土品の展示の 数々(装飾付須恵器など)を見て、今回の例会は終了しました。
この宮山古墳から下りる途中で、Wさんが、5 cm 以上の大きさの文様のある須恵器(?)のかけらを発 見。Mさんが文化財センターへ届けられたので、も
しかしたら、将来展示されるかも。
ゆったりした、一 部厳しく、楽しい一日を過ごすことが出来ました。企 画、案内して頂いた皆様ありがとうございました。
(M.M 記) 会報から転記
2021年 12月
ルート :距離
五社神古墳(神功皇后陵)ー 佐紀石塚古墳(成務天皇陵)ー マエ塚古墳 ー 佐紀陵山古墳(日葉酢姫陵)ー 佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)ー 瓢箪山古墳 丸塚古墳 ー 佐紀猫塚古墳 ー 塩塚古墳 ー オセ山古墳 ー 平城京跡;神明野古墳 ー 市庭古墳(平城天皇陵) ー コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地)ー ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)ー ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)
<佐紀盾列(たたなみ)古墳群 遺跡巡り>
コロナ蔓延も予防接種が行き渡るにつれて ようやく下火になり、待ちに待った2年ぶりの遺跡巡りに行ってまいりました。
古墳時代、平城京の北側佐紀地域に大きな古墳が集まって築造されております。皇后の墓が集まり、コナベ ウワナベは前妻後妻の意味という話もあり、いろいろ物語を妄想しながら古墳もうでへと出発!
総勢8名。企画者より 図録付きの解説パンフレットをいただいて、蘊蓄と解説は ご存知!KさんとMさん。
近鉄平城駅に降り立ち、古社神古墳(神功皇后陵)??マエ塚古墳??佐紀石塚古墳(成務天皇陵)?佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)??佐紀梁山古墳(日葉酢媛陵)?瓢箪山古墳??佐紀猫塚古墳??塩塚古墳??
宮内庁管轄の古墳と普通の古墳の違いなどトリビアを聞きながら、古墳群をあっちへぐるぐる、こっちへぐるっと周りと ひたすら歩きました。木々やシダが紅葉黄葉して眼福でしたよ。
平城京跡で昼食。推定宮内省の模倣建物とひろ〜い跡地を散策しました。朱塗りの鮮やかな建物も美しく、当時の様子を思い浮かべれば、建築技術の高さや様式に大陸との交流がうかがわれます。
市庭古墳(平城天皇楊梅陵)??ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)??コナベ古墳(小奈辺陵墓参考地)??ウワナベ古墳(宇和奈辺陵墓参考地)。
古墳周囲の堀を歩いて、いかに大きな古墳であるかと実感していると、
突如
“航空士官候補生学校”脇に出て、日の丸マークの戦闘機や都市迷彩を着た人やトラックを走る訓練生という風景を見ることになりました。金網柵に張り付くみなさん。(男の人は大きな男の子、好きよね〜。実は私も好きです。)
古墳を覆う鬱蒼とした木々と堀に心を囚われた古代から、一気に現代に引き戻された瞬間でした。
車の通行が忙しい大通りに出れば、ビルやマンションの見慣れた現代風景の中、南へ歩いて、阪神新大宮駅から、帰宅の途につきました。いや〜楽しかった。
真砂子 記 会報から転記
みはらしの森から登っていきます。
歩行距離 約5km 2万歩程度
古墳群への道程は 木々に結ばれた赤いリボンを 目印に たどっていきます。道のない所を 厚い落ち葉の上を歩くので、滑りやすく ストックがあった方が良いです。
遭難防止に みはらし会で ボランティアガイドさんをお願いして、登られることをお勧めします。
勉強勉強たっぷり、汗はびっしょりたっぷり、 |
11 月6日(月)みはらしの森“朝臣山と権現山” |